〔〕〔〕〔〕〔〕「やればできる!」を実感し、よりよい結果に向けて邁進小学生の頃、覚えている最低の偏差値は27……。そんなこともあり、中学入学当時、自分は勉強ができる方ではないと思っていました。けれども中学の定期テストは、とても厳しく、難しく、怖いという思い込みがあり、その恐怖心から入学後は、授業を一生懸命に聴き、勉強に力を注ぎました。その甲斐あって、最初の定期テストでは29位。友人から凄い、と誉められ嬉しかったと同時に、「やればできる!」と実感しました。〝勉強ができるキャラクター〟として周りから見られると、そのポジションを保つために日々努力を続けるようになります。結果、順位はどんどん上がり、一桁台をキープするようになりました。勉強法も、数学のように論理を理解し応用力を磨くもの、漢字や社会科のように記憶力を養うものを区別して対応するなど、自分なりに工夫を試みながら、毎回定期テストに臨んでいました。【輸送・機械運転業界編】21世紀をリードする「秀英」の卒業生こうして中高6年間、毎日の授業に集中し、定期テストで好結果を得るために、コツコツと積み重ねてきた集大成が、志望校合格という形になって表れたのではないかと感じています。部活動で経験した立場と役割は、社会人になってからも役立つとはいえ秀英での6年間、勉強ばかりしていたわけではありません。中学は卓球部(副部長)、高校はバレーボール部(部長)に所属し、それぞれ3年、部活動に励みました。謙虚な姿勢で教えてもらう1年生、後輩の面倒を見ながら主体的に運営する2年生、最上級生として模範的にリードする3年生と、学年によって異なる立場や役割を経験したことは、社会人になり、自分の責務とは何かを考える上でとても役に立っています。また3年生の時に、スパルタで厳しくしたり、論理的に効率性を目指して下級生を指導したりしたことは、リーダーシップのあり方を模索する極め〔〕て貴重な体験ができたのではないかと思っています。3週間のアメリカ・ホームステイで強くなった海外で働く夢将来の進路を考えるまたとない機会となったのは、高校1年のアメリカでのホームステイでした。ステイ先の家族の父親は、暗くなる前に帰宅し、夕方から家族揃ってバスケットボールの試合を観戦したり、庭で薪をたいてマシュマロを焼いたり、家族や友人と過ごす時間をとても大切にしていました。このアメリカ的な生活文化である「遊ぶ・楽しむ」という夢の心を日本に持ち帰りました。また英語に対する考え方も変わりました。英語は教科ではなく、コミュニケーションを図る言葉、言語であると。以来、表現の多彩さに加え、言葉のニュアンスや音のリズムなども楽しみながら学ぶようになりました。そして何よりも、親元から離れ、英語しか通じないアメリカの地で3週間も暮らせたことで、どの国に行っても一人で生きていけるのではないか。そんな自信が芽生え、海外で働きたいという思いが強くなったのです。巨大な船を安全に運行するプロフェッショナルとして海を越え、国境を越えて、世界に羽ばたいている剱田さん。世界を巡る二等航海士として最前線で活躍する原点は、秀英で過ごした6年間にありました。〔〕生涯の友と出会い、過ごせた秀英の6年間はかけがえないもの最後になりますが、秀英に通って本当によかったと思うこと。それは、〝生涯の友〟と出会えたことです。まだまだ人格形成ができていない中学1年から、大人に向けてともに試行錯誤しながら過ごした6年間は、何ものにも代えがたいほど濃密で、かけがえのない時間でした。秀英では、毎日の勉強はもちろん、部活動、学園祭や修学旅行などの行事においても、友人たちとの忘れられない想い出を育むことができます。そんな素敵な友と一緒に過ごしながら、ぜひあなたも秀英で自分の好きなことを見つけ、伸ばし、様々な世界へ羽ばたいて行ってください。5
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