INTERVIEW
「自分らしい生き方」を
かなえている卒業生
~専門的・技術的職業従事者~
秀英は、将来、花開くための
種を植えつけてくれる場所。
医師 笈田 枝里子
1999年4月昭和学院秀英中学校入学、2005年3月昭和学院秀英高等学校卒業。2012年獨協医科大学医学部卒業後、成田赤十字病院に初期研修医として勤務。2014年東京女子医科大学八千代医療センター後期研修医として産婦人科を専攻。2017年産婦人科医専門医取得。2020年11月OWL WING RECORD 第1回JAZZ VOCALAUDITION にてグランプリ受賞。現在、幕張とらのこ産婦人科勤務。
(2023年取材当時)
2005年卒業の笈田枝里子さんは、産婦人科の専門医*️。
医療の世界で活躍する一方、ジャズボーカルのオーディションで
優勝するなど、音楽分野でも才能を発揮しています。
秀英はやりたいことを見つけ、後に花開くための種を
植えてくれる場所だという笈田さんにお話を伺いました。(2023年取材当時)
Q1. 入学当初、学校の雰囲気はいかがでしたか?
“光の差し込む明るい学校”というイメージが残っています。広い校庭の一辺に、中学校舎の廊下が平行になっていて、窓からよく光が差し込んでいました。そうした環境だったからか、クラスメイトも先生も明るく開放的な方が多かったように思います。
先生は、私たちが考えたことに、よく耳を傾けてくださり、頭ごなしに否定することはなく「実現可能ならやってみれば」というスタンスでした。今思えば、こうした先生の対応は、私たちの責任感や自立心を育むものでしたし、自信を得ることもできました。
Q2. 学校生活で印象に残っていることは何でしょうか?
高校2年生の時の「雄飛祭」です。歌うことが好きだった私と友人は、生歌に合わせて踊りを披露する出し物を考えていました。
当時、前例のないことでしたが、先生に相談すると「やってみなさい」と許可してくださいました。すべて自分たちで考えなければならず、不安もありましたが、「雄飛祭」当日、私たちのパフォーマンスを、大勢の観客がとても喜んでくれました。準備は大変でしたが、成功した際の達成感や高揚感は今も忘れられません。そして確固たる友情を育むこともできました。
Q3. 将来の進路を考えたのはいつ頃ですか?
ソフトボール部と軽音楽部に所属し、6年間部活に明け暮れていたので、進路について考えることを先延ばしにしていました。高校3年になっても決まらず、耐えかねた母親が医学部のオープンキャンパスに連れて行ってくれました。
大学内の先生や学生の皆さんが、震えるほどかっこよく見えました。説明会を受けた場所も、広くて、周囲から光が差し込む明るい場所だったと記憶しています。こんなところで勉強してみたいと思いました。祖父が産婦人科医であったこともあり、医学部という場所や、医学生への憧れもあって、すぐに医師になろうと決めました。
Q4. 医療と音楽、多彩に活躍する原動力は?
医療では普段の診療だけでなく、YouTubeなどで発信するようになり、さらに知識が必要だと考えて勉強するようになりました。また産婦人科は赤ちゃんやお母さんの命に関わる出来事もしばしば起こります。そういう現場で悩んだり、憤慨したり、悲しくなったりする感情をアウトプットする場として音楽をしています。医療と音楽の双方があって、私の人生があるのだと思っています。