INTERVIEW
「自分らしい生き方」を
かなえている卒業生
~専門的・技術的職業従事者~
秀英で体験する勉強・行事・部活動の
ひとつひとつを大切に、あなただけの
未来へのロードマップを描いてください。
国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構
研究開発員/プロデューサー
多田 麻也子
2008年 昭和学院秀英中学校入学、2014年 昭和学院秀英高等学校卒業、2021年 東京都立大学大学院都市環境科学研究科建築学域修了。
2021年 国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA)入構、現在、宇宙戦略基金事業部技術開発マネジメントグループ研究開発員/プロデューサー。
国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構
研究開発員
富永 晃司
2008年 昭和学院秀英中学校入学、2014年 昭和学院秀英高等学校卒業、2021年 早稲田大学大学院基幹理工学研究科機械科学・航空宇宙学専攻修了。
2021年 国立研究開発法人 宇宙航空研究開発機構(JAXA)入構、現在、研究開発部門第二研究ユニット研究開発員。
中高6年間を秀英の同期として過ごした多田麻也子さんと富永晃司さん。
それぞれ異なる大学生活を経た後、国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(略称・JAXA)へ
偶然にも同期として入構しました。“宇宙と空を活かし、安全で豊かな社会の実現”を理念に、
宇宙を通して人類の明るい未来づくりを目指すJAXAで活躍するお二人に、
秀英での学校生活、JAXAでの今後の目標、後輩へのメッセージなどを伺いました。(※文中敬称略)
Q1. 秀英を志望した理由は何でしょう
富永 進学実績や校風のよさに惹かれたのはもちろんですが、学校見学に訪れた際に感じた「生徒たちの活気」と「制服のデザイン」に惹かれたのが決定打でした。秀英でなら充実した6年間が送れると確信したのを覚えています。
多田 海外研修制度など、学習面でも行事面でも幅広い経験ができると感じ、将来の選択肢が広がる学校だと思い選びました。私も、制服が志望した理由のひとつで、セーラー服とブレザーの両方を経験できるのは魅力的でした。
Q2. 入学当初、学校の雰囲気はいかがでした?
富永 「和気あいあい」とした雰囲気のクラスで、すぐに打ち解けることができました。先生もとても親しみやすく、そして生徒一人ひとりをよく見てくださっていたので、楽しいことが多いスタートとなりました。
多田 私のクラスは、明るく穏やかな雰囲気だったので、比較的早くクラスメイトと打ち解けることができました。また部活動の勧誘がとても活発で、多くの先輩が声をかけてくれたおかげで、自然と学校生活に馴染めました。
Q3. 授業はどのように感じましたか?
富永 単なる知識の詰め込みではなく、「なぜそうなるのか」という本質的な理解を促す授業でした。例えば、地理の授業では、「世界がどう繋がっているか」を体系的に教えていただき、地球規模で物事を捉える視点を養えました。
さらに教科書にはない語呂合わせや、知識同士を紐づける独自のメソッドなどを教えていただき、学ぶことの面白さを知るきっかけになりました。
多田 日々の授業を強く意識することは少なかったのですが、毎日の授業を通して、しっかりとした学習習慣を身につけることができたのではと思っています。
Q4. 学校生活で印象に残っている出来事は?
多田 北米での海外研修です。3週間のホームステイでしたが、当時は、便利なスマートフォンもWi-Fiもなく、そうした時代に海外で生活した経験は、私にとって大きな挑戦で、視野を広げる転機になりました。
研修中に起きたいろいろなハプニング、ホストファミリーが体調を崩したアクシデントなどを英語しか通じない環境の中、自らの力で乗り越えたことは、いい思い出ですし、なによりも、自分に自信がついたきっかけになりました。
富永 高校1年の「雄飛祭」です。クラスで“トッポギ”の模擬店を出したのですが、流行の反映から広報まで、クラス一丸となって取り組みました。また、軽音部でのバンド活動も忘れられません。中夜祭のステージで演奏し、観客と一体になった瞬間は今も鮮明に覚えています。
Q5. 部活動から学んだことは何でしょう?
多田 高校で所属したチアダンス部で、チームワークの大切さを学びました。
高校2年の夏、練習中に骨折をしてしまい大会に出られない時も、仲間を支える立場で関わった経験は、今も私の糧になっています。その後、仲間たちと学校として7年ぶりに全国大会に行けたことは私の誇りです。
また部活のコーチにもらった「神様は乗り越えられない試練は与えない」という言葉は、その後も色々な場面で背中を押される忘れられない言葉です。
富永 中学は卓球部、高校は陸上部で短距離に挑んでいました。そうした個人競技においては、「自らの限界に挑み、成果を出すプロセス」を学びました。一方、軽音部では「仲間と音を合わせ、ひとつの作品を作り上げるチームワーク」の重要性を学びました。
この「個の努力」と「チームの和」の両輪を学べたことは、いまでも大きな財産になっています。
Q6. 今も役立っている秀英で得たものは?
富永 校訓である「明朗謙虚」「勤勉向上」の精神です。研究者として未知の領域に挑む際、現状に満足せず自ら学び続ける姿勢(勤勉向上)と、周囲への敬意を忘れずチームで協調する姿勢(明朗謙虚)。
この2つは、私の行動指針そのものです。秀英での6年間が、今の私の土台を作ってくれたと思っています。
多田 秀英の6年間で得た最も大きなものは、友人です。それは今も私にとってとても大切な存在で、部活の仲間や高校3年のクラスメイトとは卒業後も連絡を取り合い、定期的に会っています。
Q7. 将来の進路を意識したのはいつ頃ですか?
富永 中学3年の頃です。もともと漠然と航空宇宙への憧れはありましたが、次第にその想いが具体的になり、「ロケットや航空機をただ見る側ではなく、作り、運用する側になりたい」という強い意志が芽生え始めました。
多田 中学2年の頃から建築分野に興味を持ち、将来はもの作りに関わる仕事に進みたいと漠然と考えるようになりました。
また進路決定後でしたが、高校3年の進路講演会で宇宙飛行士の山崎直子さんのお話を聞いたことが、その後の就職活動でJAXAを志す、きっかけになりました。
Q8. 進路実現に向けて、どのような努力を?
富永 高校からは基礎学力の底上げを徹底しました。特に苦手科目を克服するため、友人と互いに教え合う勉強法を実践しました。
「人に教えることで自分の理解も深まる」という経験は予備校に通い始めた高校2年以降も継続し、確かな学力向上に繋がりました。
多田 当時は明確な行動をしていたわけではありませんが、興味のある分野を大切にしながら、とにかく勉強をして、目標とする大学に入れるよう、学校生活を通して自分の選択を少しずつ固めていきました。
Q9. 秀英でやり残したと思うことは?
富永 部活動において、もっと高い「目的意識」を持って取り組みたかったという点です。当時は楽しむことが優先でしたが、もし今のマインドセットで当時の練習に向き合えていたら、さらに高い景色が見えたのではないか、と思うことがあります。
多田 英語学習にもっと力を入れておけばよかったと感じて います。大学3年の時に語学留学をしましたが、英語力があれば交換留学も視野に入っていたと思いますし、もっと早くから英語に自信を持っていれば、人生の選択肢が広がっていたと思います。
Q10. JAXAでの今後の目標は?
多田 建築学部出身ということもあり、私は、建築のプロとして日本の宇宙建築業界を発展させ、宇宙分野における新しい価値を社会に広げていくことを目標としています。月面インフラ、月に構造物をつくるサポートなどを、進めていきたいと思っています。
富永 日本の宇宙産業を、より広がりと可能性のあるものへと進化させることです。月面基地や火星移住など、人類の活動領域を地球の外へと広げ、新たな経済圏を創出することが私の人生の目標です。そのための新しい輸送インフラや推進システムを開発し、いつか私自身も宇宙から青い地球を眺めてみたいと思っています!